ニュース拾い読み 日本と韓国の問題の背景 その1

日韓

日韓

日本と韓国の終わりなき戦いがどんどん激しくなっています。 両国民は、顔はよく似ていて最も近い隣国にありながら何故これだけ憎しみ合っていくのでしょうが、恐らく諸外国から見たらほとんど区別のつかない国民同士の争いは全く理解出来ないのではないでしょうか。というかそもそもどっちでも良いような感じで受け流されているのかも知れません。
韓国WTOに提訴したというニュース

韓国WTOに提訴したというニュース

そんな韓国はWTOに提訴したり、国際的なあらゆる場面で恥も外見も無く一方的に日本を批判しています。
最近では日本人も韓国の言いがかりや嘘八百の主張にはもう成す術もなく疲れ切っている人が相当いるのではないでしょうか。 最近では「嫌韓」「断韓」という言葉も飛び交い、政治家の間では「丁寧な無視」という言葉も煩雑に出るようになりました。

1910年8月29日の大日本帝国による韓国併合から、1945年9月9日の朝鮮総督府による対連合国降伏まで、35年間の日本による韓国に対する植民地化が、韓国国民の日本に対する怨念の根深さがあるのは理解出来ますが、あの時代は欧米による弱国に対しての植民地政策は当たり前の事でしたが日本と韓国の関係においては特別なのです。
日本と韓国の違いについては歴史的な背景やら島国と大陸という地質学的違いとか宗教上の違いとか様々な観点から論じられていますが、特に戦後、日本と韓国の立場が逆転した事によって、もっと強いねじれ現象が露骨に現れるようになりました。

日本による植民地化

日本による植民地化

敗戦後のアメリカによる日本植民地化計画によって、日本人の顔によく似た韓国人や北朝鮮人を、それら植民地政策によって意識的計画的に利用されてきた結果、日本での彼らの報奨的利権が強く与えられながら日本の政治や経済、教育、マスコミ、民間企業、地域社会の中枢へと入り込み、あらゆる場面での日本人と在日人との力関係が逆転していったという事も日本を危うい立場にしているのです。そして戦後70年以上経過した今では、様々な形での韓国パワーが日本の中の一大勢力として作り上げられてきたのです。それらは特に芸能界やマスコミ、プロスポーツやグレーゾーンに近い企業等を通じ、日本社会のあらゆるところに網の目のように張めぐらされています。
そういう意味で日本と韓国の対立は単純に理解出来るものではありません。

元々、日本人と韓国人の生き方や考え方の違いについては津田塾大学を作った津田梅子の「アメリカ留学時代のホストファミリー宛てに書いた手紙」の中にも詳しく述べられており、もっと古くは、慶応大学を作った福沢諭吉の「脱亜論」の中にも日本人と韓国人とのもうどうしようもない運命的違いが記述されています。
津田梅子が18歳のとき(1883年9月30日)にランマン家(アメリカ留学時代のホストファミリー)宛てに書いた手紙
津田梅子
6歳で渡米しランマン家で過ごす

6歳で渡米しランマン家で過ごす

父が帰ってきました。二、三日前に、思ったより早く着いたのです。朝鮮についてとても興味深くおもしろい話をしてくれました。いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。彼らの衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。寝食や労働のために一つの部屋からでることもせず、下層階級の人びとだけが日中、日光にあたるくらいのものです。彼女たちは家の外で人に会うことをしないのです。何世代かの女性たちは、隣接した小屋に住んでいるのに、互いの顔を見ることをしません。彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。……父が私に朝鮮について多くのことを話してくれました。あなたの記事のために、聞いたことを書いてまとめたいと思います。きっと、とても関心をもたれると思いますので、書いたら送ります。ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。日本で出会った朝鮮の人たちは、人間的にも精神的にも日本人の特徴ととても似ていて、善良で知的で頑強な男性に思われたのですが、どうして人間がそのようになれるのか驚きです。
福澤諭吉の残した言葉として
福澤諭吉

 《左れば斯る国人に対して如何なる約束を結ぶも、背信違約は彼等の持前にして毫も意に介することなし。既に従来の国交際上にも屡ば実験したる所なれば、朝鮮人を相手の約束ならば最初より無効のものと覚悟して、事実上に自ら実を収むるの外なきのみ》(『時事新報』明治三十年十月七日)
《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。
《左れば今日の謀を為すに我国は隣国の開明を待て共に亜細亜を興すの猶予あるべからず、寧ろその伍を脱して西洋の文明国と進退を共にし、その支那、朝鮮に接するの法も隣国なるが故にとて特別の会釈に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に従て処分すべきのみ。悪友を親しむ者は共に悪名を免かるべからず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり。》
無題

「脱亜論」

その他「朝鮮独立党の処刑」や「脱亜論」、さらに「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」等でも清国や朝鮮を批判しているのは事実である


一級建築士  蓑田 常弘


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プロフィール

蓑田 常弘

Author:蓑田 常弘

一級建築士 蓑田常弘

株式会社ミノダ建築デザイン 代表
LIXILリフォームショップライファ立川代表
株式会社スインクハート 代表


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建築一筋だが、建築馬鹿ではない。

いつ仕事をしているか分らないが、しっかり納期には間に合っている。

自分の好きな建物の仕事で生計を立てられている自分はとても幸せ者だと思う。

1日おきの2kmの水泳はこれからずっと続けたいと思っている。
(楽しみというより修行のような)

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