リオデジャネイロオリンピック開幕(その1)

開幕する日もまだあちらこちらでオリンピック競技施設の工事が行われていました。日本では考えられないようなのんびりした状況の中、何とかオープニングセレモニーが行われました。ブラジルも財政難の中、開幕直前まで警察官や役人のデモが行われていて、元々は治安も悪い国で大気汚染も心配される中、開幕は大丈夫かと懸念されていましたが、南米特有の大らかさというか言葉を変えれば「いい加減さ」なんでしょうけど、それでも何とかなるものなんですね。

リオ五輪・パラリンピックの選手村

日本人は特に真面目で神経質ですから、それと対照的なブラジル国民の対応は面白いものがありました。
選手村の新しい建物でも様々なトラブルがありました。関係者がエレベーターに閉じ込められたり、トイレの汚水が流れず逆流してきたとか、エアコンがきかないとか、このような事があちこちで起こりました。
国によっては選手村の施設を出てホテルを利用したり、イギリスなんかは豪華客船を宿泊施設とする等の対応がとられました。

リオ五輪オープニングセレモニーの様子
一方でリオ五輪は費用も演出もエコをテーマに実施され、開会式も大がかりな仕掛けではなく人の力を利用したゆっくりとした動きの手作りの銀色のシートや、白い箱やロープ等を利用し、入場行進もエコにこだわりました。
各国選手団と先導したのは国・地域名が記入されたプラカードを立てたカラフルな自転車、これらはリサイクル品、自転車の後ろには苗木を持った子供達が続き、森林伐採が深刻なアマゾン熱帯雨林の再生をアピールしました。又、聖火台も地球温暖化を抑制するメッセージを込め、あえて小さな炎しか出ないようにしてあります。
リオ五輪オープニングセレモニーの様子

2020年 東京五輪エンブレム 東京五輪(1964年)
4年後の2020年には東京オリンピックが決定していますが、1回目の東京オリンピック1964年(昭和39年10月10日・体育の日)から10月24日にかけて開催されました(第18回夏季オリンピック)。
今年で52年目になりますが先の東京オリンピックは敗戦後急速な復活を遂げた日本が再び国際社会の中心に復活するシンボル的な意味を持ち、有色人種国家における史上初のオリンピックでもありました。
当時のオリンピックの中継はまだどこの家にもテレビが無かった時代でしたから、公立の小中学校では、体育館に児童を集め床に座ってテレビ中継をしていたという記憶があります。

第1回オリンピック(ギリシャ・アテネ/1896年)

近代オリンピックは夏季オリンピック第1回大会として、ギリシャのアテネで開催され、2020年の東京オリンピックで32回目です。 夏季大会は西暦で4の倍数の年、4年に1回開催されます。冬季大会は4の倍数ではない偶数の年に2年ずらして開催され、2年に1度開催されています。
1984年のロサンゼルス大会は、オリンピックがニュービジネス化した年と言われており、その流れがプロ選手の参加を促したり、政治的な色合いが濃くなったり、その反面ドーピングの問題や過度の招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂だと倫理面にまつわる問題も大きくなってきています。

リオ五輪メダル

究極的にはオリンピックは国と国の戦いという側面が強く働き、選出された選手達はそれぞれの国の代表として戦います。そして最終的には金メダルを目指していくスポーツです。
オリンピックに出場するようなほとんどの選手は物心つかない4才位から大体親の願いで始めます。当然のことながら、親がそのスポーツの有力選手であったというケースが多いようです。そして様々な試練を乗り越え結果を出し続けられる人だけが、度々行われる世界大会や予選を勝ち抜いた後、更にふるいにかけられた代表選手が出場できるのです。
そして独特の雰囲気の中で金メダル・銀メダル・銅メダルをかけて戦っていきます。そして結果的には必ずしも実力がある者がメダリストになる訳でもありません。
最後は一発勝負ですから、その日のコンディションや組み合わせや競技によっては審判の資質によっても大きく変わっていきます。 オリンピックは国同士の戦いであると同時に、良い成績を上げるとその人や、その家族や友人、そして生まれた郷土の誇りにもなり、永年語り継がれる程インパクトの強いものです。

どの国でもメダリストになると、その選手の小さい時のエピソードや、その競技を始めたきっかけや練習風景等の記録写真や親族のインタビューや同級生や恩師のインタビュー等を行います。そして、そのメダリストを英雄として盛り上げていきます。
選手によっては、8年越しとか12年越しとかかけての悲願のメダリストになったような選手もいますし、無名の新人が彗星のごとく現れ、いきなり金メダルをとるケースもあります。そうしますとシンデレラボーイやシンデレラガールとなり、その後の人生が大きく変わっていきます。
そうして永遠とマスコミに取り上げられたり、その競技がある度コメントを求められたり、テレビのゲストとして呼ばれたりします。無粋な話をすれば一生食いっぱぐれがなくなるということも言えます。

ワールドカップ

そのようにオリンピックのメダリストになるということは大変な事ですし、名誉なことなのです。
サッカーの場合はワールドカップという大舞台がありますし、野球やゴルフ等は、プロとして活躍できるスポーツでは、他の競技のようにオリンピックに参加し、メダリストになることの思いはあまり強くないかも知れませんが、それらに参加するか否かは、その選手の考え方によって違ってきます。

今回のオリンピックでも感動的なシーンが数多く見られました(8月13日時点)。
萩野公介の400メートルメドレーでのいきなりの金や、柔道での各階級でメダルが取れたこと、柔道での史上最多メダル獲得や、女子水泳200メートル平泳ぎの金藤理絵の10年越し悲願の金メダル獲得と加藤コーチとの信頼関係、テニスの錦織圭の準決勝での逆転勝利等がありました。
逆にくやしかったり残念だったのは男子サッカー予選敗退や、女子柔道52kg級 中村美里の銅メダル、男子柔道100kg超級 原沢久喜の銀メダル等、審判の判定が微妙だっただけに悔しい思いをした競技もありました。
特に中村美里が私は好きで19才で北京五輪でいきなり銅メダルを獲ったにも関わらず、前回のロンドン五輪では初戦敗退しました。その後、失意のうちに今回のリオデジャネイロでは何としても金メダルと8年間の思いも空しく銅メダルに終わってしまった時の涙をこらえた姿は日本女子の美しさを感じました。
萩野公介 金藤理絵 中村美里

嘉納治五郎

特に日本生まれの柔道では、礼儀や相手に対する敬意や同情や品格を外に表すことが尊ばれます。そうすることによって社会の秩序を保持されるという嘉納治五郎の教えもあり、日本人の行動や心のあり方の指針の一つとなって、子供達の生き方に対する規範となったり、今では世界の各地にその精神が受け継がれて広まったのですが、今回のオリンピックでも見られた通り、外国の選手の中にはどんな手段を使ってでも勝てれば良いという反則ギリギリの行いや、逃げ回ったり、持ち手を持たせない事に徹するとか、掛け逃げや審判の目をだますというようなことが横行していて、今回もこのようなことが原因でメダルを逃した日本の選手が沢山いたことは、非常に残念でした。

今このブログを書いているのは、8月13日(土)ですから、リオデジャネイロオリンピックもこれから後半戦という所ですので、まだまだこれからも感動的なドラマが生まれてくると思いますが、日本人のメダルを獲った選手達のコメントを最後に書いておきたいと思います。

「あのケガがあったから ここまでになれた」
「平井先生に メダルをかけさせてあげたい」

男子水泳 400m個人メドレー 金メダリスト 萩野公介
「今まですごく努力してきて出し切りました。嬉しいより幸せな気持ちです」

男子体操 個人総合 団体総合 金メダリスト 内村航平
「絶対これをとらなければ日本に帰れないと思った。これまで頑張ってきてくれた体に感謝をしてありがとうという気持ちでいっぱいです。」

「弱気な自分もいたりして、正直ダメかなと思っていたんですけど、でも最後、なるようになれ、運命に従おうと思って。そしたら3回目挑むときに、(どの国か)関係なしに皆さんが応援して下さったときの熱気がすごくて、それがまた私を後押ししてくれたのかなと思います。」

女子重量上げ48kg級 銅メダリスト 三宅宏美
「最後は技術でも体力でもなく、気持ちだと思っているので相手より強い執念を持って戦い抜きました。」

男子柔道73kg級 金メダリスト 大野将平


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プロフィール

蓑田 常弘

Author:蓑田 常弘

一級建築士 蓑田常弘

株式会社ミノダ建築デザイン 代表
LIXILリフォームショップライファ立川代表
株式会社スインクハート 代表


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建築一筋だが、建築馬鹿ではない。

いつ仕事をしているか分らないが、しっかり納期には間に合っている。

自分の好きな建物の仕事で生計を立てられている自分はとても幸せ者だと思う。

1日おきの2kmの水泳はこれからずっと続けたいと思っている。
(楽しみというより修行のような)

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